最近の自問

先日泊まった長野の宿では、広大な自然農園も運営していて、頼めば畑の案内もしてくれる。ここは農薬も化学肥料も一切使わない、すべて露地栽培。いわゆる自然農。県からエコファーマ認定も受けている。とれた野菜はもちろん安全安心でとってもおいしい。収穫量は?と聞いたら、ふつうの農場と同じか少し少ないくらい、ということだった。人手はやっぱりかかる。ふつうの農場なら同じ広さを管理するのに2人で済むところを10人で作業をしているそうだ。その人件費は値段に反映される。

こういう話を聞いて、とても複雑な気持ちになる。

自分自身はこういうふうに作られた野菜を食べたいな、と思う。でも、すべての人がこういうふうに作られたものを食べられるわけではない。そもそも昔はすべての農家が「自然農」だったのに、なんで農薬や化学肥料なんて「悪者」が作りだされたのか?品種改良なんて「不自然」なことが行われるようになったのか?

全世界的にみるとそれは第一義的に、増え続ける人口に見合うだけの量とスピードを確保するためだったと思う。実際、単位面積あたりの収穫量はこうした「悪者」のおかげで飛躍的に伸びてきた。だからこそ、農地拡大のペースを大幅に上回るペースで食料増産が可能だった。もし「悪者」がいまほど発達してなければ、もっとたくさんの「自然」が農地として開拓されていたかもしれない。農業だって考えてみれば「不自然」なのだ。

それに、経済が発展すると、若者は田舎の農業なんか嫌ってみんな都会に出たがる。農業を支える人手不足を補うために、機械化が進み、農薬や肥料による効率化が追求され、それが農産物価格の安定に寄与してきた面は否定できないはず。

経済が成熟して人口拡大もストップした今日の日本でこそ、スローライフがひとつのトレンドになり、農業が見直され、若い世代もIターンUターンで帰農・就農が流行っているけれど、途上国ではまだまだそこまで遠い。

自分は都会で便利な暮らしを享受しておいて、農産物だけは自然でしっかり人手のかかった安全なものを食べたいというのは、やはりワガママではないのか?
自分は高くてもいいからオーガニックなものが食べたい、といってるだけでは、貧困国を含めて貧乏人は危険なものを食え、というのと実質同義ではないのか?

自問する日々はつづく。もっと勉強していろいろなことを知らなければ。

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