月別アーカイブ: 2013年8月

わたしが牛や豚をなるべく食べない理由

(5月にfacebook にアップした原稿をこちらにも掲載します)

「雅美はベジタリアンなの?」 お肉が出てくると「大丈夫?食べられる?」と聞かれることが多いので、自分の考えを整理するためにも、ここに書きます。

私はアレルギーや宗教上の理由で肉がダメなわけではないので、食べようと思えばいくらでも食べられます。実際、昔は焼き肉大好きでした。でもいまは、魚も含めて動物性の食品は、必要最低限と思う量だけ食べるようにしています。有難いことに、そういう選択をする自由があるからです。

だから、卵や雑魚、小エビなどはほとんど毎日食べますし、月に数回は切り身の魚や鶏肉も食べます。もともと嫌いな牛乳を除いて、チーズやバターなど乳製品も食べます。牛や豚はなるべく食べませんが、ソースや出汁の材料まではあまり気にしません。私がいま心がけていることは、肉を避けるよりも、食べなくてもいいお菓子とか飲まなくてもいいアルコールなどを減らし、なんであれ必要以上に食べないようにすることです。それから、動物でも植物でもどんな食材でもありがたくいただいて、無駄を出さないようにすることです。

とはいえ、牛や豚を極力避ける理由は、あります。

ほかの食肉もそうですが、この2つは特に生産資源効率が非常に悪いため、それらの消費を減らし、もっと他の生産効率の高い食材に資源を振り向ける必要があると考えるからです。1キロの牛肉と1キロのジャガイモでは、生産に使う水の量や土地の広さに莫大な差があります。カロリーベースでみても同じことです。(よかったら是非このレポート読んでみてください。翻訳しました。

世界の食糧事情―もったいないの実践を

ベジタリアンの中には、殺される動物がかわいそう、あるいは飼育や屠殺の方法が残酷だ、という理由を挙げる人もいるでしょう。私もそれにある程度同意しますが、それよりも、現代の畜産を続けていたら次の世代まで地球がもたない、という懸念のほうが重大だと考えます。

もちろん、畜産だけでなく近代農業全体が環境や資源の問題と無縁ではありません。結局人間、持続可能性を超えて地球を搾取しなければ、生きていけないところまで来てしまった。でも、私たちの子や孫の代のことを考えたら、いま一人ひとりが意識して少しだけでも行動を変えることは、無意味ではないと思います。だから、こんなところにせっせと書き込みをしています。

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最近の自問

先日泊まった長野の宿では、広大な自然農園も運営していて、頼めば畑の案内もしてくれる。ここは農薬も化学肥料も一切使わない、すべて露地栽培。いわゆる自然農。県からエコファーマ認定も受けている。とれた野菜はもちろん安全安心でとってもおいしい。収穫量は?と聞いたら、ふつうの農場と同じか少し少ないくらい、ということだった。人手はやっぱりかかる。ふつうの農場なら同じ広さを管理するのに2人で済むところを10人で作業をしているそうだ。その人件費は値段に反映される。

こういう話を聞いて、とても複雑な気持ちになる。

自分自身はこういうふうに作られた野菜を食べたいな、と思う。でも、すべての人がこういうふうに作られたものを食べられるわけではない。そもそも昔はすべての農家が「自然農」だったのに、なんで農薬や化学肥料なんて「悪者」が作りだされたのか?品種改良なんて「不自然」なことが行われるようになったのか?

全世界的にみるとそれは第一義的に、増え続ける人口に見合うだけの量とスピードを確保するためだったと思う。実際、単位面積あたりの収穫量はこうした「悪者」のおかげで飛躍的に伸びてきた。だからこそ、農地拡大のペースを大幅に上回るペースで食料増産が可能だった。もし「悪者」がいまほど発達してなければ、もっとたくさんの「自然」が農地として開拓されていたかもしれない。農業だって考えてみれば「不自然」なのだ。

それに、経済が発展すると、若者は田舎の農業なんか嫌ってみんな都会に出たがる。農業を支える人手不足を補うために、機械化が進み、農薬や肥料による効率化が追求され、それが農産物価格の安定に寄与してきた面は否定できないはず。

経済が成熟して人口拡大もストップした今日の日本でこそ、スローライフがひとつのトレンドになり、農業が見直され、若い世代もIターンUターンで帰農・就農が流行っているけれど、途上国ではまだまだそこまで遠い。

自分は都会で便利な暮らしを享受しておいて、農産物だけは自然でしっかり人手のかかった安全なものを食べたいというのは、やはりワガママではないのか?
自分は高くてもいいからオーガニックなものが食べたい、といってるだけでは、貧困国を含めて貧乏人は危険なものを食え、というのと実質同義ではないのか?

自問する日々はつづく。もっと勉強していろいろなことを知らなければ。