月別アーカイブ: 2009年10月

Upanishad

先日のナマステ・インディアで、偶然「ウパニシャッド」と書いた手ごろなサイズの本を見つけました。

ウパニシャッド・・・。ウン十年前の世界史で習ったよなあ。

なんかもっと、分厚い壮大な文献のようなイメージだったけど、B6サイズのソフトカバーで270ページ?これだけなの?

日本ヴェーターンダ協会という団体が発行していて、序文によれば、割愛しても意味に影響がないと思われる部分は大胆に割愛してあるんだそうです。

ふーんなるほど、それならこのくらいの量で収まるのかもしれません。

ヨガはじめると、まずヨガスートラ読みなさい、みたいな流れになっているので、私もいちおう2-3冊の解説書を読みました。

バイブルみたいな扱いなので、ヨガに関する大事なことは全部これに書いてあるのかと思っていたら、もっと古いウパニシャッドにもヨガって出てくるんですね。

Om Shanti Shanti Shanti というマントラは、ウパニシャッドに書いてあるんだって初めて知りました。

ヨガスートラもウパニシャッドも、読んで「ふーむなるほど」という気もするし、「さっぱりわかりましぇーん」という気もする、たいへんおもしろい文献です。

2つで使われている言葉はちょっとずつ違って、それはヴェーダーンタとサーンキャという違う考え方(哲学)らしいんですが、私のような凡人が読むと、要はみんな同じこと言ってるような気がします。

ただ、現代日本でいわゆる「ヨガ」やってて思うのは、やっぱりこういうオリジナルのインド哲学とはだいぶ乖離してるんじゃないかなあ、ということ。

よくヨガ雑誌とかヨガクラスで、「ヨガは結びつけるという意味」「心と身体を結びつける」「自分の内と外をつなぐ」みたいなことを見聞きしますが、私は最初から、全然これにピンと来なかったのです。

ちいとずついろんな本を読むうちに、この「心と身体を結びつける」というのは、実はウパニシャッドやスートラのヨガと正反対なのかも、と思えてきました。

たぶん、心と身体というのはそもそも不可分に結びついちゃってるもので、ヨガの目的は、いかに心+身体の連合軍から、真我(プルシャまたはアートマン)を引き離すか(同一視をやめるか)、ということにあるわけです。

じゃ、「ヨガ=結ぶ」って何を結ぶのか?というと、このウパニシャッドの解説にも出てきますが、もともとは「くびきをかける」という意味だそうで、同じ「結ぶ」でもかなりニュアンス違いますよね。

つまり、自分の感覚器官にくびきをかけて、コントロールし抑制することを学ぶのが、ヨガ。この説明のほうが、私としては素直に納得できます。(実践できるかは別問題ですけど!)

ついでにもっと言うと、ヨガとよく一緒に使われる、愛とか平和とか友情とか共感とかそういう概念も、ウパニシャッドやヨガスートラに書いてあることと、ほとんど親和性がないと思います。

ウパニシャッドやスートラの作者の関心事はひとえに「自分ひとりがどう解脱するか」ということで、他人を助けるとか、ましてや世の中救うとか、全然そういう発想じゃなさそうですもん(結果としてそうなるとしても)。

だから、ヨガ=loveだのcompassionだのというのは、やはりキリスト教的博愛主義の価値観があわさって、「いま流行のもの」として日本に輸入されてきたもの、という気がします。

それはそれで、ひとつの、時代とともに進化してきたヨガの形であって、もしかしたら21世紀の世界にはそういうヨガが必要なのかもしれません。

でも、私はやっぱりしっくり来ないんだなあ。やはり自分ひとり、どう生きるか、どう死ぬか、どう解脱できるかで悩み続けると思います。でも現世での解脱はもう無理みたいですけど・・・(笑)。

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